第3回定例会
9月30日(火) 本会議(表決等)
開会前(故 平田陽道議員 追悼式)
【下関市議会 本会議確定版】
△追悼式
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○議長(林 真一郎君)
開議に先立ち、亡き平田陽道議員の御霊に対し、追悼の意をささげたいと存じます。
去る9月3日に、平田陽道議員が逝去なされました。まことに、痛恨の極みであります。
これより、御遺族の皆様方が入場されますので、全員御起立の上、お迎え願います。
〔全員起立、遺族入場〕
○議長(林 真一郎君)
ただいまから、故平田陽道議員の御遺影に向かって、今は亡き同志の在りし日をしのび、御冥福をお祈りするため、黙禱をささげたいと存じます。黙禱。
〔黙禱〕
○議長(林 真一郎君)
黙禱を終わります。
御着席願います。
〔着席〕
○議長(林 真一郎君)
続きまして、恵良健一郎議員に追悼の言葉をお願いいたします。恵良健一郎議員。
〔恵良健一郎君登壇〕
○恵良健一郎君
去る9月3日に御逝去された故平田陽道議員をしのび、議員一同を代表して追悼の言葉を申し上げます。
あなたと私は同学年になりますが、あまりに早い53歳での訃報に驚きと深い悲しみの気持ちでいっぱいです。
闘病中も体調と相談しながら、可能な限り、議会へも出席されました。さきの6月の定例会にも車椅子で出席され、資料に熱心に目を通されていましたが、それが最後となってしまいました。
およそ2年前、体調に異変を感じ、治療に専念され、またいつか必ず回復されてともに議員活動ができるものと思っていましたし、その日を待ち望んでいましたが、このような結果となり本当に残念です。
平田陽道さん、あなたはいつも私より一歩先を行く存在でした。
あなたと出会ったのは、お互いにまだ若かった二十代のとき、創価学会男子部での活動でありました。
私たちは、「世界平和」という大きな理想を掲げ、様々な学びと実践を日々行っていました。
当時、私はようやく活動に参加し始めたばかりでしたが、あなたはすでに活動の中心的存在でした。
あなたは創価大学の20期生、私は一歩遅れて21期生として、ともに創立者の下で薫陶を受け、人生の原点を築いたのであります。
そして平成27年、私たちは新たな使命の下、ともに市議会議員選挙に挑戦し、当選をさせていただきました。当選を果たしたときには、常に一歩先を行くあなたに少しは追いつけたのかなと感じたことを、つい昨日のように思い出します。
しかし、あなたはやはり違いました。いつも寡黙な中にも熱い情熱と闘志を秘め、黙々と粘り強く物事に取り組む姿勢、地道に現場の小さな声を拾い、どのようにすればその声を政策に反映できるのか、常に勉強し、議会で議論をしていました。
特に、市民の健康増進については、熱意を持って取り組まれ、認知症対策、フレイル対策、健康診断の受診率向上など、他市の事例も交えて、何度も一般質問で取り上げ、本市の取り組みの後押しをされました。
あなたは、公明党創立者が示された「団結第一」「大衆直結」「たゆまざる自己研鑽」の3指針を日々愚直に実践され、まさに公明党の議員として、そして市議会議員としてかがみのような存在でした。このような姿勢は、あなたと出会って以来30年、一貫して変わらず、私はいつも感嘆するばかりでした。
そんないつも影に徹するようなあなたでしたが、食事や懇親会などの場では、穏やかな表情で誰とでも気さくに会話を交わしながら、梅酒のお湯割りを好んで飲まれていました。そんな普段とは違った一面も見せてくれましたが、今となってはそれも思い出となってしまいました。
議員として3期目の任期途中で、このような形になってしまい、まだまだ下関市民のために頑張りたい、働きたいと願っていたあなたにとっては、さぞ無念のことと拝察いたします。
あなたを失ってしまったことは、私たちにとって、とても大きな痛手でありますが、あなたの御意思を受け継ぎ、あなたの姿勢を手本として、これからも市議会議員としてさらに精進し、市民のために働いていくことをお誓いいたします。
平田陽道さん、生も歓喜、死も歓喜、死は新たな生への旅立ちであります。今世の激闘の人生、本当にお疲れさまでした。今は、しばしお休みいただいて、そしてまた、みずみずしい命で使命の地に生まれ出でて、そして、共々に使命の道を邁進して参りましょう。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
令和7年9月30日
恵良健一郎
○議長(林 真一郎君)
追悼の言葉を終わります。
御遺族の皆様方が御遺影を捧持して退場されますので、全員御起立の上、目送をお願いいたします。
〔全員起立、目送、遺族退場〕
○議長(林 真一郎君)
御着席願います。
〔着席〕